じゆびれえしよん(山村暮鳥 / 信長貴富)

無伴奏男声合唱曲集「じゆびれえしよん」より
7.じゆびれえしよん
詩:山村暮鳥 曲:信長貴富

泥醉せる聖なる大章魚
そらに擴(ひろ)げた無智の足
官能の高壓(こうあつ)的なからくりに
マリヤ・マルタは
はんかちいふを取り出し
なみだを絞る
晝(ひる)の十二時
盲目なる大章魚(おおだこ)の礫刑(はりつけ)
毛のない頭蓋を直立させ
三鞭酒(しやんぺん)の脚杯(さかづき)ささげ
もぐもぐ何か言ふさうなが
なにがなにやら
あはれ晝(ひる)の十二時

『じゆびれえしよん』について

『秀才文壇』第16巻第1号(大正5年1月)にて発表。山村暮鳥全集(筑摩書房・1990)においては拾遺詩篇に収録されている。山村暮鳥全詩集(弥生書房 1964)においては「昼の十二時」に収録されている(筆者は未確認)。 

解釈にあたって

制作当時の暮鳥の作風

発表が大正5年1月と『聖三稜玻璃』の刊行直後であることを考えると、『聖ぷりずみすと』として多くの詩を生み出した時期の詩風であると考えられる。しかし、『1.雪景』や『2.貧賎抄』とは異なり、これだけ漢字を多用し、難解な語も多く用いている以上、意味的連続性を打破してイメージに頼っているとは考えにくい。

語の意味

・章魚【たこ】…キリスト教世界では守銭奴の象徴とされる。西洋では好色のシンボル。

ちなみに「大章魚」が神話に出てくる生物であるという可能性も考えられる。詳しくは以下のリンクを参照。 アッコロカムイ - Wikipedia / 大章魚 | オオダコ | 怪異・妖怪伝承データベース

・官能【かんのう】…生物の諸器官、特に感覚器官の働き。また肉体的快感、特に性的感覚を享受する働き。

・マリヤ・マルタ…新約聖書に登場する女性の姉妹。キリストの親友だった。詳しくは→マリア (マルタの妹) - Wikipedia

・はんかちいふ…handkerchief(英)。ハンカチ。

・なみだを絞る…(絞るほど)たくさん涙が出てしまうこと。

磔刑【はりつけ】…一般的には罪人を柱などに縛り付け、槍などを用いて殺す公開処刑のこと。キリスト教では新約聖書にも書かれているイエス・キリストの十字架刑が有名。詳しくは→キリストの磔刑 - Wikipedia

三鞭酒【シャンペン】…シャンパ

キリストの磔刑とじゆびれえしよん

テキストはかなり難解なようにも思われるが「昼の十二時」「マリヤ・マルタ」「磔刑」といった言葉から推察するに、キリストの磔刑のパロディ作品ではないかと思う。詳細はWikipediaあたりを参照。→キリストの磔刑 - Wikipedia

キリストの磔刑において「昼の十二時」は大きな意味を持っている。聖書では「イエスを十字架につけたのは朝九時ごろ。昼の十二時ごろになると、全地は暗くなり三時に及んだ。そして叫びをあげてキリストは息を引き取った」という旨の記述がある。(詳しくはこちらのサイトを参照→http://www.ne.jp/asahi/jun/icons/theme/crucifix.htm)すなわち「昼の十二時」は、全地が暗くなる時刻、死を目前にした暗黒の時間の始まりと考えられる。

関係を整理すると、大章魚→キリストであることは疑いがないだろう。大章魚は「泥酔」した「聖なる」大章魚であり「無智の足」を持っている。後半では「盲目」で「毛のない頭蓋」という特徴がかかれている。聖書に盲人は何人も出てくるが、キリスト自身が盲目だったという事実はない。ここでは、昼の十二時になり暗黒を迎えたことで「盲目」と考えると自然だろうか。「毛のない頭蓋」についてはキリストのことか「大章魚」のことかはっきりとは分からない。

暮鳥の生命観と「無智」

当時の暮鳥は、人間は理智のために生命の本質から遠ざかった存在であると考えていた。暮鳥の生命観を以下に示す。

・生命の本質は不可見であるが、個体において、つまり個々の生物の形において、可見的であるとする論に対して、個体と本質とは相即不離の関係にあるのだから、個体に顕現する個体の本質が生命の本質を象徴するということ。
・人間においては、理智というもののために、生命の本質が個体を通して顕現してこない、つまり理智のために、生命の本質を象徴すべき人間の本質が顕現しにくい

このような生命観の中で「無智」という言葉は大きな意味を持つ。すなわち「無智」であることは、生命の本質に近い存在であるということである。

 

楽譜を読む

ソロを中心として曲は展開していく。詩の流れを確認すると以下のようになる。

泥醉せる聖なる大章魚
そらに擴(ひろ)げた無智の無智の無智の足
官能の高壓(こうあつ)的なからくりに
マリヤ・マルタは
はんかちいふを取り出し
なみだを絞る
晝(ひる)の十二時
晝(ひる)の十二時
なにがなにやら
あはれ晝(ひる)の晝(ひる)の十二時
盲目なる大章魚(おおだこ)の礫刑(はりつけ)
毛のない頭蓋を直立直立直立させ
三鞭酒(しやんぺん)の脚杯(さかづき)ささげ
もぐもぐ何か言ふさうなが
なにがなにやら
なにがなにやら
晝(ひる)の十二時
晝(ひる)の十二時
なにがなにやら
あはれ晝(ひる)の晝(ひる)の十二時
晝(ひる)の晝(ひる)の十二時
あはれ 

注目すべきは繰り返すことによって強調されている言葉である。「無智の」「直立」といった言葉も気になるが、やはり最も強く主張されているのは「晝(ひる)の十二時」である。この時間については先述した通り、キリストの磔刑において全地が暗くなる始まりである。

ちなみに大章魚の描写はBassソロ、周りの描写はTenorソロ、そして「晝(ひる)の十二時」を残酷に歌うのがtuttiというように分担がはっきりなされていると解釈可能である。

タイトルの「じゆびれえしよん」(Jubilation)という言葉の意味は英訳すれば「歓喜・喜び」といったところだが、ラテン語を辿ると「叫び」(jubilant)というような意味もある(基本的には「歓喜の叫び」という意味であるが)。磔刑のパロディについての詩と考えるのであればかなり皮肉のこもった詩である。

 

最後に簡単に楽典的な部分に触れておく。使われている音楽用語「Grandioso」は「壮大に」という意味である。fffとはいえ押し付けた響きではなく「壮大に広がっていく」響きが求められる。

(楽典の知識は浅いためあまり深いことは言えないのだが)練習番号Cあたりからのコード進行も非常に重要である。実は練習番号A・Bは短調が支配していたが、練習番号Cは長調が支配しているという所には注目しておきたい。暗黒なのに……笑

 

以上で、無伴奏男声合唱曲集「じゆびれえしよん」より「じゆびれえしよん」の解説を終わる。(2018.7.29)