(雑文)難易度の高い曲に挑戦しました!っていうのやめない?

夏休み中なかなか落ち着いてブログを更新できなかったので少しずつ夏にあったことも含めて更新していきたいと思っている。

 

先日のブログで東京都吹奏楽コンクール(都大会)の鑑賞をしたことについて書いた。どの団体も本当に素晴らしい演奏だった。小学校の部を聴けなかったのだが、中高大職一を合わせて全46団体の演奏を聴くことが出来た。

その中で一つ感じたことがある。

難易度の高い曲に挑戦することに執着しすぎではないか。

僕の見た吹奏楽コンクールは「技術合戦」とでも言うべきものだった。「どうですか、こんなに難しい曲を吹いてるんですよ、すごいでしょう。」と言わんばかりの選曲も多かった。見方がひねくれているだけかもしれないが…

中学生がスミスをやり、マッキーをやり、難度の高い邦人作品をやる。

高校生も大学生も大人も。

みんな同じような曲を選ぶ。

特に学生吹奏楽についてはあえてこう言いたい。

その選曲が本当に生徒の”成長”のための選曲なのか。

コンクールで勝つためだけの選曲になっていないか。

「成長≠コンクールでの好成績」とまでは言わないが、もっとこのバンドに合った選曲があるのではないかと感じた場面がたくさんあった。難易度が高すぎてただ吹いただけになっている団体が散見された。

大人はコンクールでの好成績のために吹奏楽をしていようと関係ないと思うが、子どもは第一に”教育的意義”が大事なのではないかなと感じている。

コンクールで勝つことを目指すのがダメといっているわけではない。

コンクールで勝つこと”だけ”を目指すのは違うと言いたい。

先生が「この子たちを何とかコンクールで勝たせてあげたい」と少しでも思うと、子どもたちは「勝つための演奏」をしようとするだろう。ピグマリオン効果のように教師の期待は子どもに無意識下で伝染していく。本当に育てたいものを育てられていないのではないかと危惧している。

もちろん、スミスやマッキーをやるなと言っているわけではない。今回の大会でもしっかりとマッチした印象を受けた団体はあった。難曲でも表現までしっかりこなしている団体があった。ただ、全体として選曲にはもう少し注意深くなるべきではないだろうか。名曲は数えきれないほどあるのに、同じような曲ばかり選ばれ、しかもその団体に合っていない曲が選ばれてしまうのは(主に指導者の)怠慢だと思う。

コンクールで勝つためには難易度の高い曲を選ばなくてはならないという呪縛から解放されるといいのになぁと思う。まぁ日本の学生吹奏楽は勝利至上主義がかなりはびこっているので難しいのかもしれないが…

 

雑文なのでまとまりがないが思ったままを書いた。異論は認めます。