雪景(山村暮鳥 / 信長貴富)

無伴奏男声合唱曲集「じゆびれえしよん」より
1.雪景
詩:山村暮鳥 曲:信長貴富

山はぷりずむ
山山山
山上さらにまた山
雪のとんがり
きららかに天をめがけ
山と山とは相対して
自らの光にくづれつ
雪の山山
きらりもゆる雪山
山山のあひだに於て
折れたる光線
せんまんの山を反射す

 『雪景』について

『文章世界』第11巻第4号(大正5年4月)にて発表。死後に発表された詩集『黒鳥集』(昭和35年1月・昭森社)に収録。詩集には「雪景」というタイトルの詩が3つ連続して掲載されており、この詩はその中の1つ目の作品。残り2つの「雪景」を参考までに以下に掲載する。

直線曲線
雪雪雪
ゆきがらす
雪雪
をんなのめ
みつめるかほがめになり
めはひとつ
かずかぎりなく
曲線直線
雪雪雪
うづまくめ
もえあがるめ

*『詩歌』第6巻第5号(大正5年5月)にて発表。

まよなか
地上一面白金光
ゆき
ゆきだるま
まよなか
まはだか

 *『詩歌』第6巻第6号(大正5年6月)にて発表。

詩を読み解く

「ぷりずむ」と暮鳥

まずは「ぷりずむ」(以下”プリズム”と記載)の意味を確認する。

プリズム(prism)

よく磨かれた平面をもつ透明な多面体。ガラスなどから作られ、三角柱のものなどがあり、光を分散・屈折・全反射させるために用いる。三稜鏡。

出典:デジタル大辞泉小学館

一般的にプリズムといわれると三角柱のものがイメージされる。「山はぷりずむ」という詩は三角形の山をプリズムに見立てたのだと考えられるわけだが、ここではもう少し踏み込んで考えてみたいと思う。

暮鳥の第2詩集は『聖三稜玻璃』(せいさんりょうはり)であり、この詩の発表される5か月前に刊行されたものである(大正4年12月)。この「三稜玻璃」というのがプリズムである。更にこの詩集の序として室生犀星は「聖ぷりずみすとに与ふ(*”ぷりずみすと”に傍点)」と書いている。暮鳥自身も「わが詩はぷりずむの聖霊」と述べている。

聖霊(せいれい)

キリスト教で、父なる神、子なるキリストとともに三位一体を形成する第三の位格。人に宿り、啓示を与え、聖化へと導く。助け主。慰め主。

出典:デジタル大辞泉小学館

この言葉をどのように解釈するかは難しいが「聖霊」という超越的な存在と「プリズム」による一種の”科学的”とも言うべき目を併せ持っていると考えられる。だからこそ新鮮な物質感や形象・本質といったものを見出すことができるのだろう。このような詩法はフランスの詩人、シャルル・ボードレールのものに源泉を見出せると多くの研究者が指摘している(関川(1982)、田中(1988)など)。

余談だが、プリズム(山)は「三」角形、聖霊が「三」位一体の位格の一つという所にも共通点がある。三という数字はキリスト教に限らず東洋的思想も含め特別な数字とされてきた。よく詩を見返してみると、2行目は「山山」ではなく「山山山」である。(8・12行目の「山山」はいわゆる「山々」という名詞的に用いられている。)この「山山山」という独立した部分はあえて三字にしたのではないかと推測される。

さて、話を戻していく。前述したように、プリズムは暮鳥と深いかかわりがあり『聖三稜玻璃』の前後の時期における暮鳥の詩を象徴するものである。プリズムはこの時期の山村暮鳥という詩人そのものと言っても過言ではない。だとすれば、この雪景という詩は暮鳥自身を「山」という存在に重ねて、自らを客観視していると考えることもできるだろう。或いは「山」というのを「詩人」と捉えて解釈することもできるかもしれない。

意味的な解釈は詩を読んでいく上で重要なポイントの一つである。しかし暮鳥の場合には意味的解釈に踏み込む前に、この時期の暮鳥の作風を理解する必要がある。結論から言ってしまえば、この時期(『聖三稜玻璃』前後)の彼の詩への意味的な解釈によるアプローチは実際のところ困難あるいは無意味である。詳しくは次項へ。

『聖三稜玻璃』の詩風

ここでは『聖三稜玻璃』の時期の暮鳥の作風について、できるだけ簡潔に説明していく。

詩集発行の前年(大正3年)に暮鳥は、萩原朔太郎室生犀星と共に「人魚詩社」を結成した。対外的には「詩と宗教と音楽の研究」を目的としながら、内実としては新たな詩法の確立を目指すものだった。ここでいうところの新たな詩法だが、暮鳥の場合には「言葉に非ず、音である。文字に非ず、形象である。それが真の詩である。」という彼の言葉にも表れる通り、形象化を重視していた。これは確かに新たな詩法ではあるが、彼が影響を受けたボードレールの「韻律を踏まないでしかも音楽的節奏を感銘づける」詩法への接近ともいえる。

このようにして刊行された『聖三稜玻璃』に収められた詩篇はまさに当時の詩壇に対する挑戦であった。この詩法について山村暮鳥研究の第一人者である和田義昭氏は山村暮鳥全集(1990・筑摩書房)第1巻解題にて「従来の詩語の持つ意味的連続性を打破したもので、イメージそのものの提示、あるいはイメージ同士の結合、衝突を狙ったものと見える。詩集中にちりばめられたイマジネーティブな表出、倒錯、あえて均衡を無視したアンバランスな叙述等は近代詩における最初の前衛的詩法の開示であり、口語詩に新たな可能性の道を切り開いたものである。」と述べている。しかしこの詩法は理解されず、詩壇からは酷評を受けた。

翌年(大正6年)には暮鳥の詩風が変化していることが詩壇でも注目されており、次の刊行詩集『風は草木にささやいた』(大正7年11月)では、『聖三稜玻璃』の頃の詩法を完全に放棄し、汎神論的自然観を取り入れた人間賛歌的な詩風の作品となっている。

つまり『雪景』はいわゆる「ぷりずみすと」であった暮鳥の詩風が放棄される直前の詩であり、意味よりもイメージや形象的な部分が重視された詩であると考えられる。ゆえに意味的解釈を深めることにはあまり意味がない。この時期の暮鳥は、(自らの)詩を論理的に理解しようとすることを否定したこともあるという。強引に意味的解釈をしようとすることは暮鳥の意思にも反することになるだろう。

 

曲から詩を読む

この曲は音画(自然現象や風景などを、音によって絵画的に表現した楽曲)的な作品であり、作曲者本人の解説にある言葉を借りるならば「音のカタチを映像的に見せていく曲」となっていると考えられる。

まずは、練習番号ごとに用いられているテキストとその使われ方を詳説する。

~A

山はぷりずむ
山山山
さらにまた山

冒頭はTuttiかつUnisonで「山はぷりずむ」と歌われる。4小節目から「り」にアクセントが置かれるようになり、「ぷりずむ」と「りずむ」が共存し始める。7小節目になると、セカンドが8分音符のスタッカートの音型で「山」を歌い始める、「ぷりずむ」を歌うパートはなくなり「りずむ」のみが歌われる。10小節目からは「山」がなくなる代わりに、音型のみを引き継いで「りずむ」が歌われる。16小節目になると「りずむ」がなくなり「山山山」という詩がパートごとに順に始まる。

Aの冒頭はこだまのように「ま」のみが裏拍で歌われる。20小節目になると「や」も歌われ始め「山」という単語が”分業して”繰り返し歌われる。21小節目になるとトップテナーが「さらにまた山」というフレーズを歌い始める。(原詩の”山上”は作曲されていない)24小節目にTuttiで「山」と歌い、2拍目からベルトーンで「ぷりずむ」と歌う。

B

雪のとんがり
きららかに天をめがけ
山山山

Bからは「雪のとんがり/きららかに/雪のとんがり/天をめがけ」とメロディックに歌われる。その後、30小節目からの「ま」のみ裏拍で歌われる部分を経て、31小節目4拍目からは、Aとは異なる音程で「山山山」という詩が”分業して”繰り返し歌われる。34小節目になるとやはりTuttiで「山」と歌ってBは幕を閉じる。

C

山と山とは相対して
自らの光にくづれつ
(きらきらきら)

Cの冒頭は「山とは」というフレーズをベースが2声部にdiv.して交互に歌って「山と山とは」という詩を表現する。37小節目からはベース以外の3パートが「相対して/対して/自らの/光にくづれつ/光にくずれつ」とタイミングをずらして歌う。43小節目からはベースが「光」というテキストに移行し、44小節目からはベース以外が「きらきらきら」と歌い続ける。この「きらきらきら」は原詩にないが「きららか」或いは「きらり」といった語から作曲者がインスピレーションを受けて付け足したのではないかと推測される。47小節目に「山」とTuttiで歌われてCは幕を閉じる。

D

もゆる雪山(きらきら)
山山のあひだに(きらきら)
折れたる光線
せんまんの山を(きらきらきら)

原詩の「きらり」「於て」は作曲されていない。楽譜には記載されていないが、おそらく「雪の山山」も作曲されていない。Dの冒頭は拍子を変えながら「もゆる雪山」がTuttiで歌われる。「きらきら」が波のように歌われ「山山の」というテキストが現れた後、52小節目は「あひだに」とTuttiで歌われる。再び「きらきら」を経て54小節目からは「折れたる光線」という詩がパートごとにタイミングをずらして歌われる。58小節目になると「せんまんの山」とTuttiで歌われ、「山」というテキストがファンファーレ的に輝かしく歌われる。63小節目に「を」と歌われると再び「きらきらきら」と歌われる。65小節目からは「きら」というテキストとして歌われ、66小節目にTuttiで「きら」と歌ってDは幕を閉じる。

E

山を反射す
山はぷりずむ

「反射す」とTuttiで歌われた後、「きらきらきら」が波のように歌われ、69小節目からは「山を反射す」とベースが、70小節目からは「山を山を」とバリトンが歌う。72小節目になると冒頭の「山はぷりずむ」がトップテナーによって歌われ、74小節目からはエコーのように「りずむ」とベルトーン的に2回歌われて幕を閉じる。

全体を通して

まずは「山はぷりずむ」というテキストを上手に利用して「りずむ」という言葉を浮かび上がらせていることから、作曲者の遊び心を感じ取ることができる。非常に面白いと感じるがいかがだろう。ちなみに、暮鳥は詩作の要素として「リズムと発見(創造)とイルミネエシヨン」を挙げているが、同時にリズムを「得体の知れないもの」とも表現している。ちなみに後半は「きらきら」というフレーズが繰り返されるのだが、なんとなく「イルミネーション」のようなものを感じ取れるのは偶然だろうか…?

AやBに見られる「山山山」やCの「きらきらきら」は音がクラスター的(密集)でありどこか”効果音”的な印象を受ける。一方でDとEの「きらきら」「きらきらきら」は音程的にはUnisonであり、一本の線が波のように流れているような印象を受ける。

 

以上で、無伴奏男声合唱曲集「じゆびれえしよん」より『雪景』の解説を終わる。

(2018.7.26)

 

*引用文献・参考文献

山村暮鳥(1990)山村暮鳥全集(全4巻) 筑摩書房
平輪光三(1976)山村暮鳥・生涯と作品 崙書房
田中清光(1988)山村暮鳥 筑摩書房
堀江信男(1994)山村暮鳥の文学 筑波書林
北川透(1995)萩原朔太郎〈言語革命〉論 筑摩書房
関川左木夫(1982)ボオドレエル・暮鳥・朔太郎の詩法系列 昭和出版
佐藤泰正(1997)日本近代詩とキリスト教:佐藤泰正著作集⑩ 翰林書房
日本文学研究資料刊行会(1984)近代詩:日本文学研究資料叢書 有精堂
和田義昭(1968)山村暮鳥研究 豊島書房