光明頌栄(山村暮鳥 / 信長貴富)

無伴奏男声合唱曲集「じゆびれえしよん」より
4.光明頌栄
詩:山村暮鳥 曲:信長貴富

主は讃(ほ)むべきかな
土からはひでた蛆虫(うじむし)のおどろき
主は讃むべきかな
土からはひでた蛆虫のよろこび
主は讃むべきかな
土からはひでた蛆虫のなみだ
そらのあをさにかぎりはない
天(あま)つ日のひかりのなかを
これからどこへ行かうとするのか
蛆虫よ
だがみかへるな
その来しかた
そこにおのづからなる道がある
ただ一すぢの無始無終の道がある

『光明頌栄』について

『詩歌』第4巻第7号(大正3年7月)にて発表。『黒鳥集』(昭和35年1月・昭森社)の最初に収録。『黒鳥集』は生前に暮鳥自身によって編集されていたが未完に終わったためかなりの時が経ってからの刊行となった。

 

解釈にあたって

当時の暮鳥の作風

『光明頌栄』が発表されたのは、第1詩集『三人の処女』の刊行1年2か月後、第2詩集『聖三稜玻璃』の刊行の1年5か月前であった。また発表が、萩原朔太郎室生犀星と共に人魚詩社を設立した時期(大正3年6月)とほとんど重なっているため、まだまだ形象化を強く打ち出す新たな詩法は確立しきっていないと考えられる。しかし、シャルル・ボードレールをはじめとした海外の詩人の作品に触れたことで、第1詩集の頃とはかなり異なる詩を書いている。詩人の藤原定は、この時期の暮鳥の作風を「立体的、天地・内外倒錯的詩法」と呼び、新奇な詩体の作品を多く作っていたと述べている。

語の意味を確認する

・光明【こうみょう】…暗闇を照らす明るい光、また将来への明るい見通し。

*仏教では、仏・菩薩の心身から発される光という意味の仏語として使われる。

・頌栄【しょうえい】…キリスト教の様々な典礼における三位一体への賛美において歌われる賛美歌、唱えられる祈祷文のこと。

・蛆虫【うじむし】…ハエの幼虫。一般には腐肉や汚物などに発生する(わく)。

追記(7.24)

蛆虫はこの曲の中では「(ある意味で)汚い物」を象徴していると考えられる。そんな蛆虫が土から這い出て、光を浴びて、無始無終の道を行くという話に対して「主は讃むべきか」と言っているのだろう。

・天つ日【あまつひ】…天の日。太陽の光(=天日)と予想される。

・無始無終【むしむしゅう】…始めも終わりもなく、限りなく続いていること。(仏教用語では輪廻が無限であることをいう)

Gloria Patri

光明頌栄には「Gloria Patri」という訳が与えられている。Gloria Patri はキリスト教の様々な典礼における三位一体の賛美において歌われる賛美歌である。

ラテン語の詩としては

Gloria Patri, et Filio, et Spiritui Sancto.
Sicut erat in principio, et nunc, et semper, et in saecula saeculorum. Amen.

が大変有名である。

尚、この曲の中でも随所に「Gloria」という言葉が挟み込まれている。Gloriaという言葉だけの意味としては「栄光」といったところ。

解釈例

田中(1988)は『光明頌栄』について「土から出た蛆虫という暗喩で、蘇生のおもい、新天地を見出したおどろき、よろこびが歌われ、「ただ一すぢの無始無終の道」へ向かうことが書かれている」と述べている。この頃から、晩年の暮鳥を象徴する「汎神論」の特徴が詩にみられている。

曲を読む

詩は次のように流れていく

主は讃(ほ)むべきかな
主は讃(ほ)むべきかな
土からはひでた蛆虫(うじむし)のおどろき
蛆虫のよろこび
主は讃むべきかな
土からはひでた蛆虫のなみだ
主は讃(ほ)むべきかな
主は讃(ほ)むべきかな
そらのあをさにかぎりはない
天(あま)つ日のひかりのなかを
これからどこへ行かうとするのか
だが蛆虫よ
みかへるな蛆虫よ
その来しかた
そこにおのづからなる道がある
ただ一すぢの無始無終の道がある
道がある 道が 道が

前述した通り、この詩に「Gloria」という言葉が繰り返し挿入される。

練習番号Aには「Allegretto pomposo」とある。Allegrettoは速度標語「やや急速に」。pomposoはイタリア語で「豪華な・壮麗な」といった意味である。練習番号Gの1小節前にはbrillante(輝かしく)という音楽用語も書かれており、明るく輝かしく歌うことが必要である。

 

以上で無伴奏男声合唱曲集「じゆびれえしよん」より「光明頌栄」の解説を終わる。(2018.7.24)